10.22

人生の最期、死ぬときは苦しんで死ぬのだろうか?死ぬ日が来ると思うと恐怖を感じる。その日は必ず来るが人生はどう過ごせばいいのか
最近、老化というのを凄く意識します。
自分の老化もありますが妻の老化、両親の老化、職場の周りの人の老化、知人にたまにあった時に老化を感じます。
歳は取りたくはないものです。免疫力は下がりますし、体力も筋力も衰えます。記憶力も下がる気がします。少しずつ変化しているため中々気が付きにくいですが段々、自分も死に近づいていると感じます。
年齢を意識して老化を感じる
図書館に行くと、公共のチラシなどが並べられているコーナーが有ります。
公務員採用とか、そういうチラシを見ます。中途採用の社会人枠となるとまだ年齢的に問題はないですが自衛隊採用などを見ると、既に年齢制限です。
努力しても年齢的に転職云々という歳ではないわけです。
住宅ローンも終わり、子供も順調に2人作り、教育も成長も問題がないと、JRの大人の休日倶楽部で65歳以上の定年を対象にしたチラシを見ると、こういう現役世代を引退した人と自分は何が違うのだろうか?そう思います。
子供が成長し、独立すると一緒に暮らさなかったり、今のように休日一緒にいつも出かけるようにはなりません。子どもと一緒に出かけないようになる頃には両親も早ければ両方、亡くなっていることでしょう。
そうなると妻と一緒に出かけようというくらいしかありません。
人生の終の日が怖い。苦しんで死ぬ日が来るのだろうか
そうなった頃に自分には何が残るんだろうか?
人生を振り返ってみて、これで良かったのだろうか?そう思う時があります。人生を小さくまとまっていないか?安全主義になりすぎていないか?本当にこれでいいのだろうか?
人生というのは病気というのは具合が悪い時に健康のありがたさを感じます。不幸なときは幸せのありがたさを感じます。平凡こそ人生の宝と本多静六は言いました。平凡に日々、何となく過ぎているようでそれが幸せなのでしょうか?もっと忙しく何かをするべきなのでしょうか?
人生焦って何かをする方が逆に失敗をします。結局、何もしない方が良かったということにもなりかねません。例えば投資でも急いでリターンを増やそうと短期売買を繰り返すほうが損をします。
少しでも利回りがいいものと和牛商法の安愚楽牧場に投資するなんていうこともあるでしょう。株主優待券を貰いたくて株を保有し、優待以上に含み損を抱えるという事もよくあることです。
家族と両親の大切さと子供の成長の喜び、両親に感謝
知人も結婚し、住宅ローンを持ち、家族が増え、子供が増えていくと、昔ほど飲みにも行かず、子育てを忙しくやっていますし、お金も節約するようになります。家族内で時間を過ごす人がいま多いです。妻と子どもと一緒な時間を使ったり、両親の家に行ったりです。
子供が生まれて小さいうちは孫を見せに行くというのも親孝行と積極的にする人もいます。こういった事を見ると、アメリカなどではお店に行かずに自宅に知人を呼んでホームパーティをすると言うものがあります。日本の場合、これが知人ではなく、各家族と両親が一緒になる事を意味することが多いです。
そして、子供が居ない知人との付き合いは極端に減っていきます。共通の認識がある人達と一緒の方が話があうからです。幼稚園行ってるよ。こうこうこう言うのがあってねという感じで、うちも一緒だよ。そういう会話をするわけです。
人間の人生を動物的に考えると、真の自分探しとは、子供をたくさん産み、育て、また結婚し、子供を産んでも大丈夫な経済基盤を持てるような状態にすることです。動物的に見ると、それが済めばいつ死んでも自分の人生は全うしているわけです。しかし、人間ですから動物的に考えたくはないものです。
人生にもっと違った意味を求めてしまいます。そうでなければ結婚せず独身者は鮭の産卵期のように子孫を残せず負けて死んでいくものという意味になってしまいます。独身者の人生は意味が無いとヒトの場合は動物のように言えないと思います。
その違いは何か?これを考えるのがなかなか答えがないものになります。よく言われる自分探しというものです。ある人は自分探しは無駄であるという人も居ます。自分も自分探しはしません。探しても答えが出るものではないからです。
人生の幸せは何処で見つければいいのか
結局のところ、いまを感じて、いまの幸せを感じることが重要なのではないかと思います。
所詮、生活以上のお金があろうがユニクロの広告の品を狙って服を買うのは変わりないわけです。お金があるからと無駄に百貨店で数万、数十万の服を買いたいとも思いません。素材原価を見て、段々原価に近いものを買いたくなります。
求めすぎても幸せになりません。老化と死への進行、両親やまわりは何時かいなくなってしまう日が来るというのを人生とは何なのか何を選択して、どういう風にしていくのがいいのかと、ふと考えることが多くなってきました。
老化現象でしょうね。
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